ノルウェイの森 あるいは女性の褒め方について

 

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

 正直この本に関しては、終始いらいらしながら読み進めていたのだが、その原因は男が嫌いそうな女性特有の世界観が文体にいたるまで精細に描かれていることにあったのだと気付く。生理の話だったり、愚痴をひたすら聞いたり、気まぐれで意見をころころ変えたりとまぁだいたい緑が嫌いってことなんだけど。

 女性に対する配慮は直子、レイコ、緑の特徴や会話によく見られた。

直子と会ったのは殆んど一年ぶりだった。一年のあいだに直子は見違えるほどやせていた。特徴的だったふっくらとした頬の肉もあらかた落ち、首筋もすっかり細くなっていたが、やせたといっても骨ばっているとか不健康とかいった印象はまるでなかった。彼女のやせ方はとても自然でもの静かに見えた。まるでどこか狭くて細長い場所ににそっと身を隠しているうちに体が勝手に細くなってしまったんだという風だった。(上巻p41

  本来ならガリと一蹴するところを、相手を傷つけないように丁寧に言葉を選んでいる。もちろんこれは地の文なのでこの相手とは読者に当たるのだが。

とても不思議な感じのする女性だった。顔にはずいぶんたくさんしわがあって、それがまず目につくのだけれど、しかしそのせいで老けて見えるというわけではなく、かえって逆に年齢を超越した若々しさのようなものがしわによって強調されていた。そのしわはまるで生まれたときからそこにあったんだといわんばかりに彼女の顔によく馴染んでいた。彼女が笑うとしわも一緒に笑い、彼女がむずかしい顔をするとしわも一緒にむずかしい顔をした。笑いもむずかしい顔もしない時はしわはどことなく皮肉っぽくそして温かく顔いっぱいにちらばっていた。年齢は三十代後半で、感じの良いというだけではなく、何かしら心魅かれるところのある女性だった。僕は一目で彼女に好感を持った。(上巻p194

  しわしわ強調しすぎだろ。無理して褒めてる感がある。世界の終わりとハードボイルドワンダーランドのデブ女のセックスでも思ったけど、お前の性癖はどうなっているんだといわんばかりに本当に女性をよく褒めるし、よくセックスをする。この場合のセックスは官能小説の抜けるセックスではなくて少女マンガやレディースコミックにでてくるコミュニケーションとしてのセックスになる。

 下巻のp65からの資本論の話がでてくるところでは5ページにわたって緑の愚痴を聞くことになるのだが、そこではワタナベはひたすら聞き手に回り、相槌を打つ。ふむとかそうだねという具合にだ。これは極端な例だが、大なり小なり相手が喋り、ワタナベが短い返事で返すという構図がわりと繰り返されている。会話の主導権は相手にあり、ワタナベの自己主張は少ない。そもそも彼は演劇が好きではないが演劇を専攻していて、理由がなんでもよかったというくらいだから軸がなく、影がうすく感じてしまう。説明を諦めることもしばしばで面倒くさがりも思える。男の私には魅力的には思えない。

 だがこれが三人の女性陣には魅力的に見えるというから不思議な話だ。言ってほしい言葉だけでもてるのなら苦労しない。私だったら即効で関係を切っているが、そうすると物語が成立しない。直子は性障害で、レイコはピアノの挫折で、緑は親子関係で歪み、傷ついている。性に潔癖であろうとしたハツミは自殺し、嘘つきのレズ少女が裁かれず、過去の不幸な出来事として処理されている。

 こんな不幸話を積み重ねて、この話を組み立てる意味は果たしてあったのか。展開の仕方が不自然というわけではないが、三十七歳のオッサンになったワタナベが年とともに薄れていく過去の出来事について後悔と孤独を描くというのはどうなんだろうか。この小説は深遠な世界観、ダイナミックな展開や激しい会話の応酬、衝撃的な結末はなく、いかに身近な人物を登場させ、その人物が発する言葉に共感させるタイプの小説だと結論付ける。