響きと怒り

 ブログにしろ、日記帳にしろ、日々何を思ったのか記録しておかないと自分がなぜそのような行動をとったのかという動機だったり客観性が見えなくなる。そんなわけでこの本を手にとった一番最初のきっかけはもはや思い出せないのだが、ガルシア=マルケスが影響を受けた作家だということ、ジェイムズ・ジョイスユリシーズで使われる『意識の流れ』がOmegaの視界での観念的なものや内的独白と関係があるんじゃないかと思い購入した。意識の流れはWikipediaによるとこうである。

人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法

  アメリカ南部の没落していく一族を意識の流れやさまざまな技法を用いて描くフォークナー第四作目の作品である。上巻はベンジー、クウェンティンが語り手となるのだが、いかんせん読みにくいことこの上ない。過去の出来事がいきなり差し込まれるので、場面転換表を参照しないと今何がどうなっているのか、だれがいるのか、誰がしゃべっているかがさっぱりわからなくなる。下巻はそのような技巧が激減しているので非常に読みやすくなっている。特に第三章のジェイソンの語りはアメリカ小説的なスラングを使うので、流れるように読むことができた。そして下巻を読み終えて、改めて上巻を読むことで初めて作品の全容が見えてくるというわけだ。

 一族の没落という意味では私の家系も似たようなところがあり、山を切り開いて開拓し、財を成した土地が祖父の息子の兄が事業失敗の穴埋めのために遺産を強奪した過去があり、今では少しの庭と一戸建てが残るばかりである。幸い、コンプソン一族のように不幸にまみれることはなく、今のところは大丈夫だが、だからといって家族仲が良いというわけではない。その意味でもジェイソンの苦労や悪態をつくところなんかは共感できるし、ジェイソンが思い出したり、想像したときにする二重カギカッコの会話なんかは自分でもしょっちゅうやることがあってフォークナーのテクニックに非常に驚いた。意識の流れの一片を垣間見た気がした。付録のコンプソン一族では母親の死によってジェイソンはすべてから開放され、自由になって一応は救われた形となった。黒人たちの後日談は非常に短く、雑に扱われているものの全員不幸から逃れられ、ある種勝ち逃げのようにも感じる終わり方になんともいえない後味が残った。

 

響きと怒り (上) (岩波文庫)

響きと怒り (上) (岩波文庫)

 

 

 

響きと怒り (下) (岩波文庫)

響きと怒り (下) (岩波文庫)