カードを不正利用されました。

 バスの遅延報告で、会社に連絡した後、auのお留守番センターから伝言が来て、オリコかエディオンカードに関する問い合わせがありました。平日だし、面倒だしで、休日に掛け直すことにして、今日電話したら、「13万のご利用がありましたが、身に覚えはありますか」と返ってきて、ギョッとして身に覚えはありませんと答え、詳しく話を聞いてみると

6月13日火曜日にカードのご利用があったらしく

一回目が13万4395円

二回目が13万6895円

三回目は利用停止されたが13万4940円

をコスメランドで利用したとのこと

コスメランドに登録した覚えはないし、ましてや俺は男だから化粧品を使うことなんてない。この時点で不正利用だと気付いた。

 で、不正利用された経緯なんだけど、

 去年か2~3年前にカード決済代行業をする会社が倒産して、そのどさくさに紛れて、流出した可能性があるとのこと。利用がコスメランドなのはその会社は化粧品会社とも契約、取引していたらしくそれ関係なのではと返答がありました。倒産した会社名を聞きだそうとしたんだけど、オリコ側では分からないらしく、後で調べてみると

 直近の倒産がデジックスでエステ向けも取り扱っていて、今年の4月に倒産した。

www.bci.co.jp

だだ2~3年前に倒産したとオリコ側は言っていたので、本当にこの会社なのかは分からない。

 

ほかにもサイバークレジットの倒産とかあるけど、これは7年前のことだからたぶんあまり関係がない。

www.tsr-net.co.jp

 その後なんだけど、カードの利用停止とともに、再発行するはめになり、月末には再発行したカードが届くとのこと。保障も上限なく、不正利用された分は払わなくていいとのこと。

 オリコ側もこのことは把握しているらしく、今年の2月から被害が多発し、プレスリリースを出す事態にまでなっている。

 

www.orico.co.jp

 さすが、大企業といったところか対応も素早く、スムーズに手続きが行え、丁寧に質問に答えてくれました。警察との対応ですが、ほかの会社でも被害があるらしく、全容は調査中とのことです。今回は何とか乗り切れたが、パスワードの管理やフィッシングの利用にいくら気をつけていても会社の倒産じゃ防ぎようがない。やたらめったら、サイトにカードの登録をしないほうがいいなと思いました。

 

 

ノルウェイの森 あるいは女性の褒め方について

 

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

 正直この本に関しては、終始いらいらしながら読み進めていたのだが、その原因は男が嫌いそうな女性特有の世界観が文体にいたるまで精細に描かれていることにあったのだと気付く。生理の話だったり、愚痴をひたすら聞いたり、気まぐれで意見をころころ変えたりとまぁだいたい緑が嫌いってことなんだけど。

 女性に対する配慮は直子、レイコ、緑の特徴や会話によく見られた。

直子と会ったのは殆んど一年ぶりだった。一年のあいだに直子は見違えるほどやせていた。特徴的だったふっくらとした頬の肉もあらかた落ち、首筋もすっかり細くなっていたが、やせたといっても骨ばっているとか不健康とかいった印象はまるでなかった。彼女のやせ方はとても自然でもの静かに見えた。まるでどこか狭くて細長い場所ににそっと身を隠しているうちに体が勝手に細くなってしまったんだという風だった。(上巻p41

  本来ならガリと一蹴するところを、相手を傷つけないように丁寧に言葉を選んでいる。もちろんこれは地の文なのでこの相手とは読者に当たるのだが。

とても不思議な感じのする女性だった。顔にはずいぶんたくさんしわがあって、それがまず目につくのだけれど、しかしそのせいで老けて見えるというわけではなく、かえって逆に年齢を超越した若々しさのようなものがしわによって強調されていた。そのしわはまるで生まれたときからそこにあったんだといわんばかりに彼女の顔によく馴染んでいた。彼女が笑うとしわも一緒に笑い、彼女がむずかしい顔をするとしわも一緒にむずかしい顔をした。笑いもむずかしい顔もしない時はしわはどことなく皮肉っぽくそして温かく顔いっぱいにちらばっていた。年齢は三十代後半で、感じの良いというだけではなく、何かしら心魅かれるところのある女性だった。僕は一目で彼女に好感を持った。(上巻p194

  しわしわ強調しすぎだろ。無理して褒めてる感がある。世界の終わりとハードボイルドワンダーランドのデブ女のセックスでも思ったけど、お前の性癖はどうなっているんだといわんばかりに本当に女性をよく褒めるし、よくセックスをする。この場合のセックスは官能小説の抜けるセックスではなくて少女マンガやレディースコミックにでてくるコミュニケーションとしてのセックスになる。

 下巻のp65からの資本論の話がでてくるところでは5ページにわたって緑の愚痴を聞くことになるのだが、そこではワタナベはひたすら聞き手に回り、相槌を打つ。ふむとかそうだねという具合にだ。これは極端な例だが、大なり小なり相手が喋り、ワタナベが短い返事で返すという構図がわりと繰り返されている。会話の主導権は相手にあり、ワタナベの自己主張は少ない。そもそも彼は演劇が好きではないが演劇を専攻していて、理由がなんでもよかったというくらいだから軸がなく、影がうすく感じてしまう。説明を諦めることもしばしばで面倒くさがりも思える。男の私には魅力的には思えない。

 だがこれが三人の女性陣には魅力的に見えるというから不思議な話だ。言ってほしい言葉だけでもてるのなら苦労しない。私だったら即効で関係を切っているが、そうすると物語が成立しない。直子は性障害で、レイコはピアノの挫折で、緑は親子関係で歪み、傷ついている。性に潔癖であろうとしたハツミは自殺し、嘘つきのレズ少女が裁かれず、過去の不幸な出来事として処理されている。

 こんな不幸話を積み重ねて、この話を組み立てる意味は果たしてあったのか。展開の仕方が不自然というわけではないが、三十七歳のオッサンになったワタナベが年とともに薄れていく過去の出来事について後悔と孤独を描くというのはどうなんだろうか。この小説は深遠な世界観、ダイナミックな展開や激しい会話の応酬、衝撃的な結末はなく、いかに身近な人物を登場させ、その人物が発する言葉に共感させるタイプの小説だと結論付ける。

AT-OPXの不具合

PS3→AT-OPX 2.0m→AT-HA26D→ATH-AD2000Xでinsaniaを聞こうとしたらぶつぶつといったノイズしか聞こえてこない。PS3のCD情報取得がまずかったかと、情報を書き換えてみるが変化なし。別のCDに入れ替えても同じ調子だったんで、AT591D 1.0mに入れ替えたら、普通に聞こえた。キルミーベイベーを視聴していたときはまったく問題なかったのに。光デジタルケーブルの長さが関係しているのか品質が悪かったのかいまいちよく分からないトラブルだった。

響きと怒り

 ブログにしろ、日記帳にしろ、日々何を思ったのか記録しておかないと自分がなぜそのような行動をとったのかという動機だったり客観性が見えなくなる。そんなわけでこの本を手にとった一番最初のきっかけはもはや思い出せないのだが、ガルシア=マルケスが影響を受けた作家だということ、ジェイムズ・ジョイスユリシーズで使われる『意識の流れ』がOmegaの視界での観念的なものや内的独白と関係があるんじゃないかと思い購入した。意識の流れはWikipediaによるとこうである。

人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法

  アメリカ南部の没落していく一族を意識の流れやさまざまな技法を用いて描くフォークナー第四作目の作品である。上巻はベンジー、クウェンティンが語り手となるのだが、いかんせん読みにくいことこの上ない。過去の出来事がいきなり差し込まれるので、場面転換表を参照しないと今何がどうなっているのか、だれがいるのか、誰がしゃべっているかがさっぱりわからなくなる。下巻はそのような技巧が激減しているので非常に読みやすくなっている。特に第三章のジェイソンの語りはアメリカ小説的なスラングを使うので、流れるように読むことができた。そして下巻を読み終えて、改めて上巻を読むことで初めて作品の全容が見えてくるというわけだ。

 一族の没落という意味では私の家系も似たようなところがあり、山を切り開いて開拓し、財を成した土地が祖父の息子の兄が事業失敗の穴埋めのために遺産を強奪した過去があり、今では少しの庭と一戸建てが残るばかりである。幸い、コンプソン一族のように不幸にまみれることはなく、今のところは大丈夫だが、だからといって家族仲が良いというわけではない。その意味でもジェイソンの苦労や悪態をつくところなんかは共感できるし、ジェイソンが思い出したり、想像したときにする二重カギカッコの会話なんかは自分でもしょっちゅうやることがあってフォークナーのテクニックに非常に驚いた。意識の流れの一片を垣間見た気がした。付録のコンプソン一族では母親の死によってジェイソンはすべてから開放され、自由になって一応は救われた形となった。黒人たちの後日談は非常に短く、雑に扱われているものの全員不幸から逃れられ、ある種勝ち逃げのようにも感じる終わり方になんともいえない後味が残った。

 

響きと怒り (上) (岩波文庫)

響きと怒り (上) (岩波文庫)

 

 

 

響きと怒り (下) (岩波文庫)

響きと怒り (下) (岩波文庫)

 

 

ガルシア=マルケスの死に寄せて

 今日の朝8時に、出勤する前に気温を見ようとしてdデータを押すと飛び込んできたこのニュース。衝撃を受けた。認知症になったとは聞いていたが、私の知らないうちに亡くなっていたみたいだ。

 百年の孤独を買ったのは2011年12月28日。コミケ開催の前日で、

ねこバナナの新刊を心待ちにしていた時だ。Omegaの視界に対するインスピレーションの助けになればと思い(特にマジックリアリズムというワードに惹かれて)、amazonで注文したのが最初だった。エンターテインメントでない本格的な外国文学の単行本を買ったのはこれが初めてで、3000円近くもしたが、迷った末購入。

 本来この小説は、会社の休憩時間やバス通勤の中で読むものではなく、家でどっしりと構えて読むものなのだが、なぜかその時は早く読み終わることを目標にしていた。といっても実際に読み終わったのは数ヶ月先(数年だったかな?)で、これ以降、小説は眠たくなくて暇なときに読むようになった。

 この小説はどんちゃん騒ぎと闘鶏と戦争、金細工と刺繍、ギャグとエロ、なんでもありだ。この作品を購入して正解だと思った瞬間は16ページのシーンだ。仕事をほっぽりだし、ジプシーの持つ文明の利器に夢中になった末に口走ったホセ・アルカディオ・ブエンディアの言葉だ。

「地球はな、いいかみんな、オレンジのように丸いんだぞ」

たまりかねてウルスラが叫んだ。

「変人は、あんただけでたくさんよ。ジプシーじゃあるまいし、この子たちにまで妙なことを吹きこまないで!」

 腹立ちまぎれに床に投げて天文観測儀を壊した妻のすさまじい形相にもひるまず、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは泰然自若としていた。(p16)

 読んだ瞬間爆笑したのをよく覚えている。土を食うレベーカ、全身刺青のホセ・アルカディオ、肝っ玉母さんのウルスラ。ブエンディア家七代とマコンドの人々は皆個性的であり、読んでいて飽きない。ただ、怒涛のようにエピソードが挿入されるので一気に50ページも100ページも読めるものではない。その前に疲れて、途中で読むのをやめてしまうくらいだ。この作品を語りだすとキリがないので今日はこのへんで。

 レベーカを佐倉杏子ちゃんに置き換えて読んでいたなぁ。全然似てないけど。

 

 

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))